ご挨拶

弘法大師空海は、すべての「いのち」が等しく尊いものであるという考えを、生涯にわたって実践されました。私もその考えのもと、西蔵院に集う皆様方と「いのち」というかけがえのないものを共に考え、大切にしていきたいと思っております。


「他を尊重すること、己を愛すること」簡単なようでとても難しいことです。

己を愛することで、はじめて他を尊重することができるのです。


「いのち」の大切さをどう伝えていくか。

今より少しでも明るい未来をつくるために私たちに何ができるのか。


みなさまと一緒に考えていきたいと思っております。


合 掌


西蔵院 第三十五世

廿楽義栄


寺院名 圓明山 宝福寺 西蔵院
宗 派 真言宗智山派
総本山 智積院
本 尊 大日如来
開 創 平真法印
開 山 年代不詳

西蔵院について
本堂

西蔵院 本堂

開山、平真法印より第7世真朝法印に至るまで、当山の過去帳や墓碑などに寂年の記載はありません。しかし、当山に現存する過去帳によれば、天明2年(1782)6月、第20世中興祐永和上作成の最古の過去帳には「妙永禅尼」(文正3年 -1446 -10月26日没)「右塔ハ右ノ者地内ニ有 江川八左ヱ門」とあります。

これらから推察し諸説を交え推考するに、定かではありませんが当山の開山は1400年代前後ではないかと考えられています。



西蔵院は著名な作家の小説にも登場しております
  • 鬼平犯科帳15 池波正太郎(文集文庫)
  •  一場面に西蔵院が登場しております。
  • 九鬼周造随筆集 菅野昭正編(岩波文庫)
  •  文人哲学者である九鬼周造は根岸に住居を構えていたことがあったそうです。
  •  根岸の町並みの様子が書かれております。

御行の松
御行の松

三代目 御行の松


昭和2年当時の御行の松

昭和2年当時の御行の松

「御行の松」の名の由来には諸説あり、輪王寺宮が上野山内の寺院や神社を巡拝された時に、根岸の御隠殿からこの松の下にきて必す休まれたことから、その名がついという説、また一説には松の下で寛永寺門主輪王寺宮が行法を修したからともいわれております。


江戸期から、根岸の大松と人々に親しまれ、『江戸名所図会』や広重の錦絵にも描かれています。初代の松は周囲4メートル余、高さ13メートル余もあり、大正15年(1926)に東京市の天然記念物に指定されたが、昭和3年(1928)枯死してしまいました。


戦後、初代の松の根を土中より堀り出して保存し、不動堂の中にこの根の一部で彫った不動明王像をまつり、西蔵院と不動講の方々によって護っております。


現在植えられているのは三代目の御行の松となっています。西蔵院玄関には、正美氏が昭和2年当時の御行の松を描き、昭和5年に帝展(現在の日展)に出展されていた絵を飾っております。


所在地 台東区根岸4-9-5 西蔵院境外仏堂不動堂内


真言宗智山派について
御行の松

秋の金堂


昭和2年当時の御行の松

大師堂

智積院(ちしゃくいん)は真言宗智山派の総本山であり、京都市東山七条にあります。


私たちの宗団は、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、東京都の高幡山金剛寺、名古屋市の大須観音寶生院を別格本山として 全国に3000余りの寺院教会を擁し、総本山智積院は全国約30万人にのぼる檀信徒の信仰のよりどころとして総菩提所、総祈願所と位置付けられています。


お近くにお出での際は、是非お立ち寄り下さい。宿坊に宿泊することもでき、朝の勤行なども見ることができます。


総本山智積院はその昔より学問の寺院であり、今日でも多くの僧侶が修行に訪れております。詳しくは智積院HPを参照下さい。